新人類と呼ばれた世代がそのまま大人になりました。

「1961年から1970年生まれ」の「一風変わった若者 = 新人類」である私がそのまま「一風変わった大人」になって日々感じること、考えていることを何の脈絡もなく書き綴ります。よかったら読んでください。

「集合体恐怖症」トライトフォビア

小さな頃から粒々の集まったものが苦手でした。それはビジュアルだけでなく食べ物であったとしてもです。トライトフォビア「集合体恐怖症」といわれるものかも知れません。

 

外食のとき、ちょっとかしこまった店だと苦手な食材を事前に聞いてくれます。そのときに

ちょっとカッコよく「魚卵とキノコ類とナス」って言いたいところです。(好き嫌いが多いんです)

でも一度痛い目にあったことがあります。高級な串カツ屋さんで「粒々の集まったもの」という表現がカッコ悪くて「魚卵」と言ったんです。するとまさかの一品目に「とんぶり」が出てきてしまったんです…。「とんぶり」というのは別名「畑のキャビア」と呼ばれている草の実のことです。そうまさしく粒々集合体…。

そのときは一緒にいた人に食べてもらいました。それからはカッコをつけないで「粒々の集まったものが苦手です」というようにしています。

 

ここまで書いてきて私の子どもの頃の恐怖体験を思い出しました。

 

小学校低学年の頃から左足の脛に水いぼができました。しかも1ミリから2ミリ程度の大きさのイボがたくさん集まった状態でした。いまこの文章を書いているだけで吐きそうになってきます。

当時の私は親に頼んで医者に連れて行ってもらったり、市販薬を試したりしましたが一向に治りませんでした。

お医者さんが言うには「水いぼは1年から2年経てば自然と消える」とのことでした。

しかし、粒々が大嫌いな私が耐えられるはずもなく、とうとう自傷行為に走りました。

 

カッターナイフでイボを削ぎ落とそうとしたんです。でも結果は傷付けたイボからウイルスが広まり数が増えただけでした。

 

その後は大人しくイボが消えるまで見えないように工夫をして生活をした記憶があります。

 

まだまだ「集合体恐怖症」や「トライトフォビア」という言葉、病気についての社会の認識は低いといえます。患者にとってはわかってもらえない苛立ちもありますが、40年前と比較すると確実に理解度は高まっています。

 

iPhone11が発売されたとき、テレビコマーシャルで、背面のカメラが粒々の集合体に見えてしまうと話題になりましたよね。「トライトフォビア」の人にはこのデザインを受け入れることはできないだろうって。鬱病が認知されてきたように集合体恐怖症もずっとみんなに認知されるようになるでしょう。

そうなれば公共の場所に集合体の描かれたポスターや写真などが掲示されることがなくなるなるかも知れませんね。

キャッシュレス消費者還元…

10月の消費増税に合わせてキャッシュレス消費者還元制度がスタートしています。この制度は準備期間があまりに短く制度設計も不十分だったことからスタート前から大混乱しています。

 

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実をいうと私が働いているのはキャッシュレス業界です。今回の消費者還元制度における決済事業者にあたります。

すでに制度に参加している決済事業者の数は1,000件を超えており、現存する日本のキャッシュレス手段のほぼすべてが対象となっているといえるでしょう。

 

ただ、まだ登録手続き中の状態であるお店が数多くあることが問題となっています。

中には7月に申し込みをしたにもかかわらず未だに登録が完了していない店もあります。

 

原因はいろいろありますが、世の中の人があまりご存知でないことがあります。

それは政府(経済産業省)のシステムの不具合です。

例えば、住所が同じであっても店舗が2つある場合がありますが、同一店舗として名寄せされる仕組みです。のちに何度かのマニュアルの更新があり少し改善されていますが、初めの頃に名寄せされてしまっているお店については事業者が状況を確認して登録をしなおす必要があります。

また、一旦制度登録になったとしても設置端末が無効になる場合があります。この原因はわかっておらず、経済産業省からも登録済の先であっても毎日無効になっていないか確認するようにというお達しが出ている状態です。

 

これから実際に還元されていない等のクレームが多発することは間違いないでしょう。

 

ですが政府はキャッシュレス消費者還元制度については混乱なくスタートできた。登録が遅れているのは決済事業者の手続きが遅いためと説明しています。

また、Yahooニュースなどのメディアにおいてもまるで言論統制でも引かれているかのように政府の肩を持つような論調になっています。

 

そろそろ大手の決済事業者である楽天カード、VISA、JCB、イオンなどが一体となって政府に対して物申していいのではないでしょうか。

このままだと、この政策の失敗(必ず失敗します)が決済事業者の責任だと押し付けられることが目に見えています。

変形性関節症…

51歳の私には偏頭痛という持病があります。かれこれ30年以上の付き合いになるのですでに諦めています。なるようにしかなりません。

 

その私にさらに嫌なことがありました。3年前からずっと痛かった右肩の痛みの原因がわかったんです。

診断は「変形性関節症」…。

治りません…。

痛みはこれからもっと酷くなります…。

 

どういうことかというと、痛みの出始めたときに病院で調べてもらったときは「50肩です」といわれ、もっと運動するように指導されました。それから益々痛みが酷くなってきます。前後の上下運動は大丈夫なんですが、横には痛くて上がりません。でもお医者さんにいわれた通り頑張ってストレッチをしたり痛くても無理矢理動かすようにしていました。

 

ところがです。

 

今年になって、堺市のベルランド総合病院の剣道仲間の先生に診察をしてもらったら「これはダメだ。紹介状を書くから警察病院にいって」といわれました。

 

警察病院の肩の専門医にいろんな角度でレントゲン撮影をしてもらい診察をしていただきました。

 

結果は最悪でした…。

 

その時のケガが原因で軟骨が擦り減り、肩の骨が削れて刺々の状態になってしまっています。さらに、関節から肩が前方にズレて外れている状態とのこと。

 

簡単に言うと、ボロボロです…。

 

痛みを取り除くためには人工関節にする手術しかないが、そうなると剣道を続けていくことは難しくなるとのこと。

剣道人生の目標である全日本演武大会、いわゆる京都大会に出場するには六段に合格したうえで、練士の称号を取得しなければなりません。順調に合格できたとしても6年後が最短になります。

 

最短で合格できるように剣道の修行に修練することと、右肩が限界をむかえるのとどちらが早いのかは分からないですが、できるところまで精一杯稽古を頑張りたいと考えています。

面をつけたら加減することなんてできないですからね。

久しぶりの稽古

毎週土曜日、午前6時半から7時半まで心技館で剣道の稽古をしています。私が心技館に入会させてもらってから約10年が経ちました。

 

剣道をしている大人の人は子どもの頃からずっと続けてきたか、もしくは子どもの頃に習っていて大人になってから再開した方がほとんどです。

 

私の場合は34歳から剣道を始めました。

 

なぜかというと、子どもに影響を受けたからです。娘が小学一年生のときに近所の警察署の剣道教室に入れていただきました。

時々その様子を見に行っていて自分もやってみたくなったんです。

警察署の先生に大人からでも教えてもらえますかって尋ねたら二つ返事でOKをいただきました。

 

ところがです…。

 

あまくはなかった。

 

足の裏の皮はズルズルにめくれるし、手も豆が潰れて大変なことになる。防具をつけ始めたのがちょうど夏の暑い時期。胴垂だけでも暑いのに面と甲手をつけるとそれだけで汗がダラダラ…。

それで稽古をするんですから、体力云々ではなく根性です。身体が動かなくても声を出せば何とかなる。すごい世界だと思いました。

 

大人になってから剣道を始める人が少ないとよくいわれます。でもそうではないのかも知れません。始めてみても続かないんです。お稽古事ですから理不尽なこともあります。すべてを含めて剣道です。

 

幸いなことに私は18年間続けてくることができました。昨年は岸和田市の剣道功労賞もいただき、さらには五段にも合格できました。ひとえに周りの人に支えられているおかげだと本当に有難いことだと思っています。

 

そして、私には恩師が2人います。

剣道との出会いを作ってくれたH先生

剣道の楽しさを教えてくれたA先生です。

 

それと、忘れてはいけないのは私が稽古をさぼらずに続けてくることができた大きな理由は娘のおかげです。娘が稽古に行くのに親の私が「しんどいから休むわ」なんて言えませんでした。いわゆる、親としての意地でした。

笑いの質にこだわって…

大阪人である私は例にもれずお笑いが好きです。吉本新喜劇も好きでした。過去形です。なぜか?

 

笑いの質が変わってしまったから…。

 

以前の吉本のお笑いは芸人がみんな鉄板ネタをもっていた。

辻本しげおさんのローリングトークやシゲ爺。

島木ジョージさんのパチパチパンチやチンチラぽっぽ。

間寛平さんと池乃めだかさんの「猿とネコ」は大阪の宝でした。

 

いつのころからか、芸で笑わせるのではなく、人を笑うスタイルが多くなってきたんです。

いわゆる嘲笑…。

 

「ぶさいくやな」とか「デブ」なんていう容姿を笑うようになってきたことに気づきました。

 

吉本新喜劇だけではありません。もともとバラエティ番組に出ている芸人にも笑いの質によってグループ分けができます。

 

しゃべくりやモノマネなど自分の芸で笑わせることのできるグループ

明石家さんまさんやサンドイッチマンが代表的ですよね。

 

逆に人を笑っていい気になっているグループ

ロンドンブーツ1号2号とんねるずが代表といえますよね。

 

バラエティ番組で笑いをとるには若手芸人をバカにしてみんなで笑うっていうのが一番簡単な方法なんでしょう。しかも煽るようにスタジオの笑い声を効果音として入れてくる。こんな低俗な番組を見て育った子ども達はきっと困っている人や悲しんでいる人をみても何とも感じることができなくなってしまうことでしょう。

 

少なくとも我が家では子どもが人をバカにしたような笑いをしたときには注意します。そして説明します。嘲笑は笑いではなくて蔑みだということをしつけます。「しつけ」とは「身」を「美」しくと書いて「躾」となります。美しい心をもった人に育って欲しいです。

ピカソ? お高いね…

ピカソの絵が高いのは誰もが知っていることです。それこそ世界共通認識といえますよね。でも、本当にピカソの絵が素晴らしいと感じることができる人は世界中にどのくらいいるんでしょうか…。少なくとも私にはいい絵だとは思えないんです。

 

絵画の価値ってどこかの大御所が「この絵は素晴らしい」と言ってしまえば値段が上がる仕組みですよね。その値段の上がった絵を投機目的で次の人がより高く買う。

それを繰り返されてピカソは今の金額にまでなったんでしょう。

 

バスキアやバクンシーにしてもそうです。あの絵のどこがいいのか理解に苦しみます。あの絵を高くても買っている人は将来きっと値上がりすると考えているばずです。けっして絵そのものの価値に対して支払っているのではないでしょう。

 

値上がりの仕組みについて簡単に考えてみました。理論上こんな事も可能だと思われます。

 

人気鑑定番組に市場評価額が1万円の壺を出品したとします。鑑定結果が1万円であればよしです。でもここで鑑定士の先生が同じ品を所有していた場合は少し複雑なことになります。

「評価額は50万円です!」と鑑定すれば、この壺の市場評価額が一気に50倍に跳ね上がります。

なぜか…

鑑定士自身が所有するものの資産価値を上げるために市場評価額よりもずっと高い金額をつけたいという欲があるためです。

(実際にはこういった行為がされていないと信じています)

 

ただ美術品の世界では、これまでの長い歴史の中で同様のことがあったかもしれません。ピカソの所有者がピカソの絵を評価する…。そのとき、必ず市場評価額よりも高い金額になったことがあるでしょう。

 

ピカソの絵を本当の素直な眼で鑑賞できる人がいたら、どんな感想をもつのかとても興味があります。

投機目的で取引されている美術品を一旦リセットして本来の価値を評価してみたら面白いでしょうね。

 

JIN -仁- またまた見ました

村上もとかさん原作、大沢たかおさん、綾瀬はるかさん主演のTBS開局60周年記念日曜劇場「 JIN -仁- 」をAmazon primeで見ました。

 

10年前に放送されてから何度も見てるんですがそのたびに感動します。泣きます。いい年のおっさんが涙をながすくらいに。

 

喜市のお母さんが死んだとき…

流行病から生還した喜市。おっかさんが辻斬りに殺されて「おいら、助からなかったらよかったよ」ってセリフで泣きました。

 

緒方洪庵先生を診察したとき…

南方先生が未来からきたと悟り「先生の悲しみを洪庵がもっていきます」といってくれたとき、泣きました。

 

栄さんがかっけから治ったとき…

意地を張って治療を受けてくれなかった栄さんが元気になった姿を見て南方先生が涙をながして喜ぶ姿に泣きました。

 

安寿が生まれたとき…

野風が自分の命をかけて子どもを助けようとする気持ち、想い。泣きました。

 

そして、〇〇先生への手紙を受け取ったとき…

現在に戻ってきた南方先生が咲さんの子孫に出会い手紙を受け取る。咲さんの南方先生への素直な想いが初めて伝えられ、また南方先生は自分のしたことが無駄ではなかったと確信できたシーンでした。号泣しました。

 

こんなにすごいドラマは他にはありません。少なくとも私の中ではベストです。これまでも「相棒」、「ガリレオ」、「ルーキーズ」、「壬生義士伝」、「新参者」など色々ありましたが、「JIN -仁- 」には劣ります。(すみません、私見です)

 

子どものころにこのドラマを見ていたらお医者さんになりたいって考えていたかもしれません。「たられば」なんて意味がないですが、人の生き方に影響を与える力のある素晴らしいドラマだと思います。