新人類と呼ばれた世代がそのまま大人になりました。

「1961年から1970年生まれ」の「一風変わった若者 = 新人類」である私がそのまま「一風変わった大人」になって日々感じること、考えていることを何の脈絡もなく書き綴ります。よかったら読んでください。

仕事帰りの電車では…

職場から帰宅するときは大阪メトロ御堂筋線から南海電車に乗り換えて帰ります。南海電車なんば駅が始発のため1本か2本電車を遅らせると必ず座ることができます。

 

私のような仕事帰りの人が座席を確保するために並んでいる姿は帰宅時間帯の風物詩と呼べるでしょう。

そこには男女の違いもなければ年齢の違いもありません。ただ並べば座って帰れることをみんなが知っています。

 

せっかく並んで確保した人の前に席を譲って欲しそうにお年寄りが立つことがあります。気の毒なことに若者の前に…。

 

「おじいさん(おばあさん)、その子は電車を遅らせてまで座ったんですよ。仕事帰りで疲れてるんですよ」って言いたいんです。(でも言えません…)

最近多いのがハイキングなど遊びに行った帰りのお年寄りです。かっこいいトレッキングシューズをはいて、リュックを担いで大きな声で話をしています。

 

「〇〇さん、ここ座らせてもらい!」

 

「おいおい、なんてことを言ってるんですか。若者だって疲れているですよ」(心の中の叫びです…)

 

私も50歳を超えているので、席を譲る役目からは解放されたいと思うのですが、なかなか良心がそうはさせません。

 

仕事で疲れていても身重の女性や小さな子どもを連れたお母さんにはできるだけ席を譲るようにしています。なぜかというと、彼女たちには急いで帰る必要があると想像できるからです。

 

小さな子どもを連れていたら、早く自宅に帰りたいと考えるのは人情です。身重の人も早く帰って家事をする必要に迫られているのでしょう。そう思うと「よかったら座ってください」って自然と言えるんです。

 

ただ悲しいのは妊婦さんに席を譲ると、ほとんどの確率でイヤな顔をして断られます…。

私の顔が恐いからって友人には揶揄われますが少々凹みます。

 

小さな子どもを連れている人に席を譲ったときにはホントに喜んでくれるので、私も疲れが吹っ飛ぶくらいの幸せな気持ちになれます。

 

どうして、席を譲られたほうは気持ちよく座ってくれないんでしょうか。乗車マナーとして席を譲りましょうと言うけれど、譲られる側のマナーも大切だと思うんです。

 

私のような鈍感ですぐにイヤなことを忘れてしまう者にはどうでもいいんです。

勇気を出して席を譲ったのが高校生だとしたらどうでしょう。

彼もしくは彼女が嫌な顔をして断られたりしたらどう感じるか。その高校生は二度と席を譲ろうなんて思わないでしょうね。

 

男性の私にはわかりませんが身重の人にも立っていたい事情があるのかもしれません。でもせめて、「立ってる方が楽なのでいいです。ありがとう」って言えたら車内が良い雰囲気になるでしょう。

 

余談ですが、脚を大きく開いて座る男性がたまにいます。閉じて座れば1人分のスペースが生まれるか、そうでなくても両隣の人が狭い思いをしなくてもすみます。空気の読めない人って苦手です。このテーマについてはまた後日書きたいと思います。